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佐賀家庭裁判所 昭和61年(家)384号 審判

申立人 蓮沼美智子

主文

本件申立てを却下する。

理由

第1申立ての趣旨及び実情

1  申立人は昭和56年1月22日蓮沼一治と離婚したが、当時両名間の子雅治、智治が在学中であつたので、婚氏を継続することとし、右同日戸籍法77条の2の届出をした。

その後、申立人の母、姉原田美代子が死亡したが、申立人が祭具等を継承しており、申立人が婚氏のままでは不都合である。

2  よつて、申立人の氏「蓮沼」を婚姻前の氏である「原田」に変更することを許可する旨の審判を求める。

第2当裁判所の判断

1  本件記録によれば、次の各事実が認められる。

(1)  申立人は亡原田芳雄、亡原田シゲノの三女として出生し、「原田」氏を称していたが、昭和36年5月頃蓮沼一治と夫の氏を称する婚姻の届出をし、以来「蓮沼」氏を称してきた。

(2)  昭和56年1月22日申立人は蓮沼一治と協議離婚したが、両名間の長男雅治(昭和37年11月22日生)、次男智治(昭和40年6月8日生)の親権者は母である申立人と定めた。ところで、申立人と前記未成年の子両名は同居生活上同氏であることが好都合であるので、もし申立人が婚姻前の氏「原田」に復すると、未成年の子両名も事実上「原田」に復さざるをえないが、右両名はいずれも在学中(長男は高校3年生、次男は中学3年生)であつたので、氏が変わることは避けたかつた。

そこで、申立人は婚姻中の氏「蓮沼」を継続することとし、協議離婚の届出とともに戸籍法77条の2の届出をした。

(3)  昭和57年頃申立人の姉原田美代子が死亡したため、申立人は多久市○○○町大字○○○××××番地の×で母原田シゲノと同居することとなつた。

ところが、昭和59年11月頃母原田シゲノも死亡し、申立人は肩書住所地に転居した。申立人の両親、姉美代子、その他先祖の墓は佐賀市○○町内にあり、菩提寺は同町内の○○寺である。墓参りなど先祖の供養は主に申立人がしており、位牌も申立人宅においてまつつている。

(4)  申立人には北九州市在住の姉山元美子、東京都在住の兄原田雄一、水戸市在住の兄原田雄二、兄原田雄三、名古屋市在住の弟原田誠がいる。

2  以上の各事実が認められるところ、申立人において婚姻前の氏「原田」に復したいとの心情は理解できないこともないが、申立人は昭和36年5月蓮沼一治と婚姻して以来婚姻中約20年間「蓮沼」氏を称しており、離婚後も婚氏である「蓮沼」氏を継続し、既に5年間経過しており、申立人の氏としては「蓮沼」氏が社会的にも定着していると解されること、祭具等の継承者となるためには必ずしも被祭祀者と同一氏でなければならないとはいえないことなどをも加味すると、本件申立てには戸籍法107条1項にいう「やむを得ない事由」があるとは認められない。

3  よつて、本件申立てを却下することとし、主文のとおり審判する。

(家事審判官 池田和人)

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